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ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2024.05.17
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2012.04.15
公園で空気の渦を作り踊る恋人たちはジャングルジムに上る気流のような存在だ。
砂場に突き刺したスコップも日々に浚われて命の頬を差し出してしまうほどの優しさで
僕の友達は家のドアの音を聞かない苦痛を持つ。
痛みを痛みの中で感じるだけでもひとつの特効薬なのにねと
家の袂で喜ぶ人に
手を差し出して空や海を箱に詰めてあげる。
お土産はいつも思いを入れて
悲しみは横によけて埃になるだろう。
砂のような感情は瞬く間に失われて
追いかけたいけれど私たちは忙しい。
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2012.04.14
人にやさしくするということ

人の優しくするということは人に気遣いをするということとは違うと思う。
それは自分の考えをきちんと伝えるということ。
たとえその人が傷ついたとしてもそれをやるということ。
たとえば、二人で歩いているときの距離の取り方、歩幅の合わせ方。
それは全部優しさでなりたっている。
ようするに常に人は他者に影響を与えているということです。
それはとてつもなく大きなそして小さな影響であるがゆえ、意識しなくてもいいのかもしれませんが、
まったく意識しない人はとてもわがままに見えます。
影響という言葉はどういう意味なんでしょうか。
人といることで影響をしている。
それはジャングルで蝶の羽ばたきがハリケーンを作るといった種類のものに似ています。
そう考えれば、なんでもかんでも影響をしているわけです。
ゆえに影響をしているということ自体がもう一つの土台をなしているわけです。
そこでその土台を考える必要があるかどうかという話になります。
それは難しい問題ですが、土台は考える必要があるように思います。
もちろん人間だけが考えているもので、もうその他の動物はこの土台自体を受け入れているはずです。
ようするに意識してないはずだということです。じゃあなぜ人間は考えるんでしょうか?
それはこの土台を意識することにあるんでしょう。
もし自然はもう完璧なものでだれよりも有効に機能するのなら
これは意味をなしません。
もちろん誰基準で有効なのかはとても重要です。
けれど人間としてうまれた時点でこれは人間の思考回路、もしくは時間は感覚の持ち方でしか考えれません。
ですから、土台を意識することは多分人間にとってなにか意味があるのではないかと思います。
それは今のアイポッドの常識か、ルールの常識化につながります。
空気や風や炭素が当たり前にあるということと電波の見えなさは
もしかしたら将来一緒の扱いになるかもしれません。
2012.04.14
あなたがいてくれるとうれしい
あなたのそばにいるとうれしい
あなたの姿を見ているとうれしいし
姿が纏う感情もうれしい
花に似た姿で歩くだけで
道路が花になったり
空が流星だらけになったりして
支えあうつらさを話題にする人たちの滑稽を
川に流して消えてしまうだろう。
僅かなだけの日々の滓が
優しさに変わる方法を
あなたは笑うことで伝えられる。
誰もそれを笑い返すことはしないだろう
あなただけでもそうあればいいと願うだけで
花の香りを姿形に閉じ込めて
触っていたい。
どこにもいかないで
2012.04.12
無題
道を歩くと人の視線と圧力に軌道を変える毎日です。
電車の中では肩にかけたカバンがあたり居場所をなくします。
新聞紙を目の前に広げられると先端恐怖症が再発します。
でも車窓の緑を見ると少し広がります。
手すりの上をみるとこんな小さな乗り物にのり生きる私たちはなんてちっぽけなんだと思います。
眉間のしわさえ宇宙の渦に比べたら比較するほどにもなりません。
物事を大きさや小ささで比べて判断する人間はとても愚かだと思います。
米の粒と銀河の大きさを比較するとき、
そこには確かに区別がある。
こんな出来事、宇宙に比べたらちっぽけだというとき、
人は区別をしている。
比べるということはそういうことです。
それはとても悲しいことだし、人間にしかできない認識です。わたしな区別をしたくない。大切という基準を区別を地盤にして持ちたくないと思う。そんな判断基準はとてもアバウトだし等身大すぎて限界を示してる。
等身大っていうのはわからないけどもっと広いものだと思う。
わたしのこの考え方すら含むくらいのもっと得体のしれないものだと思う
2012.04.12
虹を空の夜に溶いていた手で抱きたい。
人のような姿で人を愛す人を
見下す人はばかです。

もう一度
大きな声で人を呼んで
心を埋める作業をするんでしょうか。
安らかに注ぐ太陽を受け止める暇もないほど
時間を惜しむ人の背中を撫でてあげて
そっと大切にしてあげて