日常茶飯事 黄色い音色 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2025.02.27
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2012.04.14
人にやさしくするということ

人の優しくするということは人に気遣いをするということとは違うと思う。
それは自分の考えをきちんと伝えるということ。
たとえその人が傷ついたとしてもそれをやるということ。
たとえば、二人で歩いているときの距離の取り方、歩幅の合わせ方。
それは全部優しさでなりたっている。
ようするに常に人は他者に影響を与えているということです。
それはとてつもなく大きなそして小さな影響であるがゆえ、意識しなくてもいいのかもしれませんが、
まったく意識しない人はとてもわがままに見えます。
影響という言葉はどういう意味なんでしょうか。
人といることで影響をしている。
それはジャングルで蝶の羽ばたきがハリケーンを作るといった種類のものに似ています。
そう考えれば、なんでもかんでも影響をしているわけです。
ゆえに影響をしているということ自体がもう一つの土台をなしているわけです。
そこでその土台を考える必要があるかどうかという話になります。
それは難しい問題ですが、土台は考える必要があるように思います。
もちろん人間だけが考えているもので、もうその他の動物はこの土台自体を受け入れているはずです。
ようするに意識してないはずだということです。じゃあなぜ人間は考えるんでしょうか?
それはこの土台を意識することにあるんでしょう。
もし自然はもう完璧なものでだれよりも有効に機能するのなら
これは意味をなしません。
もちろん誰基準で有効なのかはとても重要です。
けれど人間としてうまれた時点でこれは人間の思考回路、もしくは時間は感覚の持ち方でしか考えれません。
ですから、土台を意識することは多分人間にとってなにか意味があるのではないかと思います。
それは今のアイポッドの常識か、ルールの常識化につながります。
空気や風や炭素が当たり前にあるということと電波の見えなさは
もしかしたら将来一緒の扱いになるかもしれません。
PR