日常茶飯事 日常 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2025.03.03
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2008.01.06
あばば
四日間の軌跡

一日目
うなだれる。
新年に打ちのめされ旅に出る。
夜歩きまくって漫画喫茶へ。

二日目
とりあえず歩く。
死ぬほど歩いてなんだか情緒不安定に。
いろいろ見て神話のこととか人とか初詣とかに出会う。
歩くことでしか見出せない気がしたので止まれなかった。

三日目
転々を見ようと思っていたがチャプター27を爆睡してしまい諦めて喫茶店でぼーっとする。
リュックが重いので泣きそうになり人の冷たさにまた泣きそうになる。
新年とかまったく実感していない。
なんかに押されている感じ。
寝床も安定せず。
疲れる。

四日目
寝坊。
とりあえず淡路島に行く。
ふぐなどなんか豪勢な奴等を食う。
うまいというより高いが勝つ。
カツ丼が食べたいと思った。
阿波踊りはすごく面白かった。
ただ集団で何かをするっていうのは相変わらずなじめないと思った。
地下のゲームセンターで100円スル。
電源が入っていない機器に100円をいれてしまった。
メダルを100円で買い豪遊。
さすがサ・カジノ。

五日目
うどん食って寝てうどん食って寝て牧場にいって牛を撫で回して嫌われてポニーの残酷さに凹んで牛乳を飲んで気持ち悪くなった。
家についてぼーっとする。
やっぱり家族ってのに馴染めないなーって思う。
別にへんな意味ではなく。

結果
ようするになにをしてても同じだってことを再認識。
しかし旅が好きだ。
いたたまれない旅は後の祭りみたいに美化される。
単純
そして湾曲してる。

明日から東京でまた暮らす。
満員電車やだな。
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2008.01.01
黒い函
火のようで赤い白が混ざった火のようで
庭に咲く山茶花の切れ端ちぎって押し花に
山頭火の歩いた山を
ぬかるんだ山道に足を取られ
どうにかなってしまいそうになる
終わりがほとほと見えない限りずっと同じく足が重く
あまりに沈む沼なので足のひとつを手足に変えた。
あるき心地とか
考えていたら近くの窓が空いて誰かが笑って
なんだって思う。
つまるところそれが忘れられない人で
どうせそれを引きずってしまうんだろう。

道には砂利が
箪笥を開けて合鍵を探しても見つからない。
どうにもならない。
だからどうにかなりそうになる。
2008.01.01
風来坊とか考えて
はっぴいえんどの音楽を死ぬほど聴く。
屋根裏部屋でコタツに入って寝転んでいると
埃が頭に積もる。
新年とか難しいな。
心もとない。
なにも変わらない。

とりあえずはおって
サケロックの音楽を聴く。
なんもうごかん。
しからば自分が動くしかないかと

少しばかり旅に出ます。
目的とかそういう問題ではないたびです。
2007.12.30
思い通りに進まない。
年内に骨組みをつくりたいのに。
のんべんだらりとしている。
怠惰だと思う
2007.12.22
限度
音楽を聴いていて文章を書いているとその音楽からどのくらいの文章が抽出できるかということを考える。
ようするに飽きるまでに無意味な文章をいくら書けるかということだと思う。
多分限度があると思う。
いくら普遍的なものだっていつか飽きる。
少なくとも僕は飽きる。
それは感動でも怖さでも楽しさでも悲しさでも寂しさでも。
全部飽きる。 
その飽きるまでにまた新しいことが出てきてそれでまた飽きるまでそれを思う。
そういうことだと思う。
飽きるは慣れるの延長線上にあるんだと思う。
昔、基準値の高い人になりたいと思った。
なんでも知っている人。
いろんなことを経験しているとか。
でも全部自己満足なんだろうな。
でも自己満足じゃないともいえるだろうな。
いつものごとく思うのは
何もわからないということをわかっているということはわかるものとわからないものを知っているということなのでそれはわからないというもののどこがわからないか無意識に知っているということなのでそれはなんとなくわかっているということになるんじゃないかということ。
でもこれはわからないってのがちゃんとした位置にいること前提だけど。
どうせフラフラしてると思う。
わからないも。
わかるも。