日常茶飯事 日常 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2025.03.01
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2009.02.20
「なまけもの」
特徴:頭を使っているふりする。いつも眠い。「でも、」が口癖(逆説をいえばいいと思ってるから)さみしがりや。

年齢:多岐に渡る
生息地:主に都会

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2009.02.16
金欠です。
それでもなんとか生きていたくて、釣りをはじめようかなと思っていますがよくわかりません。
釣りっていってもサバイバル的な釣りなので実際タッチアンドリリースなんか死んでしまえというスタンスで向かいます。なので容赦しません。
どこか食べれる魚はいないのか。
海なのか。やっぱり。
高田渡さんの歌を聴いていると体に落ちてくる。
違和感がない。
言葉がひらかれるとき(漢字ちがう)を読んでいるので声の影響かもしれないと思う。
声は不思議だ。
体は声と連動しているし、声や言葉なんてたかが人の出す音の一部なんだろう。
人の音は声だけじゃない。
もっといろいろあるって書いてる。
言葉は確かに大事だと思う。コミュニケーションとしては。あと、思考の整理とか。
でも言葉に縛られてはだめだ。
意味とかに。
なんて自分は狭いんだろう。
解釈とか根拠とか考えすぎてる。
抽象的なところにも根拠は必要だと思うしそのための言葉も必要。
っというかそもそも抽象的ってなんなんだろう。
そう考えたらきりがないから考えないんじゃなくて考えること。それをしなきゃ。
だから時間がない。寿命長ければ嬉しい
2009.02.16
書いて
深夜のファミレスでエスプレッソを10杯くらいのみながら書く戯曲は胃にこたえる。
はたしてここに書いて主張するほどなものなのか定かではない。
それにしても稽古が楽しみ。
色々恥をかこう。
2009.02.13
18切符買ってどこか行きたい。
3月に入ったらさっと逃げよう。
金欠でも旅は必要
2009.02.13

時間は常に一方通行だと思う。
自分は浮かんでいて同じ高さにいる人たちと楽しく話したりしている。
その一段階あがった(下がった)状態は言葉にできないのだけどひとつの終わりがあって
行き着いたところまでいった感みたいなものがある。
けれど終わりなんてものはないわけで、はじまりも終わりも全部作られたものだから、結局それは嘘だと思う。
流れるとか動くとか寿命とか終わりとか、先とか今とかそんなもの全部ない。
生まれてからずっと生まれた場所から動いてない気がする。
不思議な感覚。
忘れたくないと思う。