日常茶飯事 日常 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2025.03.04
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2007.10.19
明日は必ずくるのであって、この世に僕がいなくなっても明日はきっとやってくる。
毎日本番の前、緊張する。
そして観劇中、色々考える。
僕の未熟さを知る。
でもまだまだ回るのではないかと思う。
もう少し踏ん張ってほしい。
大変だと思うけど。

胃潰瘍になってもいいから今回の公演はできる限り自分のやりたいことに近づけよう。
まあ、胃潰瘍なんてなりませんが。
とりあえず、のんびり観劇できるようにしたい。
絶対いい方向に向けてみせる。
なんて意気込みだけは一人前。
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2007.10.17
本番です。
不思議です。
なんだか現実感がないな。
僕にとって毎日はとりとめがないもの。
とりとめたいけど流れてく悲しい。
明日は多分柄にもなく緊張します。馬鹿だなとそんな自分を思います。
特別なんてないと思う。あるのは微妙なズレだけ。

明日はいいズレ方をしてほしい。毎日夢見るけどすぐ忘れます。
記憶力がよくなりたい。
2007.10.15
日々いろんなことはある。
眠るとへんな夢も見るし、毎日行く場所も違うし、出会う人も違うだろう。
同じように落とし込めることに苦痛を感じなくなったらもう一回考えてみようかと思う。
幸い僕はそれに苦痛を感じるからいつも毎日を認識したいと駄々をこねる。
それはないものねだりに似ている。

同じようなものや
似たようなことを同じものとしてカテゴライズして生きていきていないとつらいと思う。
刺激は強すぎてもよくないし弱すぎてもよくない。その刺激を選ぶことが大人なら僕は、大人になりたくないと思う。
僕はいろんなものに惑わされたい。
芯なんてどうでもいい。
あるのは同じように見えるものだけで、それをなんとかカテゴライズしないように苦心する。
でも人間の性で、結局カテゴライズせざる終えなくなるのも知ってる。
じゃあ人間じゃなくていい。
宇宙人と思って生きよう。
宇宙人のカテゴライズは今のところ地球に住む生命体以外ってことだろうから人間ってカテゴライズより自由だろう。
自由になりたい。
自由になるってことは何もないってことではない。坂口安吾が言ってた。
ほんとそう思う。
僕は毎日自由で、多分その自由から逃げてると思う。どうせそういう生き方しかできないんならもっと逃げよう。
そう思って芝居をはじめた。
なんて陰気な発想だろう。

今日も曇り空。
近くのパン屋さんは七時閉店なのに六時に閉まった。
買いに行ったのに閉まってた。
『言葉に責任を』
それが今日の教訓。
2007.10.14
夜に散歩をしようと思いはや数日。
なかなか思い通りには行かない。
うちの前にある老人ホームにはときたま救急車が止まっていることがある。
これは多分、あぁ、って思う。
こんなに近く起こってることも僕は認識できないでいる。
それくらいの生活水準でなにができるんだろうと考える。

昔『MEMENTO MORI』って本を読んだ。
衝撃を受けた。
でも今は衝撃を受けたという出来事だけしか覚えていない。
感覚は麻痺するものだと思う。

最近ビデオカメラを使っているんだけど、そのカメラにうちの実家が改装する前の写真が入っていた。
それは引越しする前の風景で、ダンボールとかが山済みにされているだけのごくありふれたものなのだけれど僕にとってすごく意味のあるように思えた。
それは、ごく近い時期にうちの実家の引越しのことを考えていたからで、ただそれだけの理由なんだけどすごく意味を感じた。
それに、このごろは家族のことをよく考える。それに過去のことも。
これはいったいなんなのか、わからないけれど思い出すことがたくさんある。
思い出すことがたくさんあるということは、忘れていたことがたくさんあったということで、僕は忘れていたことすら忘れていた。

今、「坂口安吾の堕落論」を読んでる。
どういうわけか僕は堕落したいらしい。
めんどうな人だと自分で思う。
2007.10.13
毎日稽古。
昼も夜も。

今聞いているのは、浜田真理子さんの
夜も昼も。

少しづつだが微妙に演出で調整している毎日。微々たるものですが確実に変わってきてはいる。あまりにも微々たるものなので役者には結構負担だと思う。
申し訳ない。
でもはじめてなりに少しでもいいものを作りたいと思う。僕の力なんて微々たるものですが、その少ない力を最大限いかそうと思う。
毎日はあっという間。

のんびりいく暇はあまりない。
でものんびりするように心がけよう。
ないものねだりが人生だ。

欲望は永久に不滅です。