日常茶飯事 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2024.05.17
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2012.04.15
どうしてこんなに欲望だらけなのか。
どうしたらつぎにいけるのか。
なにがしたいんだ?
と問われても答えられない。
ただ何かしないとダメになる。
この気持ちはこのまま外に出せたらどんなに楽だろう。
多分そのほうほうを見つけたいのだと思う。

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2012.04.15
やっぱりなにかしたい。
苦しいことがあるとそう思う。
表現ってなんだろう。
苦しみと結びついているのか。
もうどうしようもないのか。
やっぱり言葉を書きたい。
僕は演出できない。
何か言葉を書かないと
2012.04.15
わたしの凡てをあなたの手元に
わたしはあなたの心の広さを知っているから
あなたはわたしの小ささを見つめてる

心の広さと弾力が
触れていると変わっていくのね

わたしはあなたの時間を知って
自分の大きさを感じたから
あなたの抱きしめる優しさの理由もわかってしまい
悲しくなったわ泣いてしまうわ

こうしてお互い広く浅い海辺で
何か遠い空を見ていると
青い色が繋がって
やっぱりわたしはすべてを
溶け合う日々になるの

二人でいれるとうれしい
優しさも嘘だって
短く切り刻む時もあるだろうけど
あなたがいてよかったと
思うことが幸せ

もう少し笑うよ
そしたらよくなるとあなたはいうけれど
わたしは今のままでいいわ
2012.04.15
音楽
つらいときには
メゾンドヒミコのコンバセーションや
トニー滝谷のサントラ
アルバムリーフの音楽
手嶌葵のテルーや
星野源のくだらないの中に
ハナレグミのハンキーパンキー
浜田真理子の十五夜と存在
ミスチルとか
聞く。
そんなちっぽけな自分です。
でもね、
どう思われてもそんなもん。
自分はそんなもん。

悲しくなると言葉が出てくる。
踊るからだに言葉が存在できないのはなぜだろう。
抜いて抜いてしてると言葉がなくなっていく。
でも悲しくなると言葉が出てくる。
戯曲を書きたいと思うけどかけないとも思う。
踊る体に言葉が存在したらどんなに楽だろう。
その接点を見つけたい。
どうしたら思いが踊りになるのか。
思いは言葉だ。
人は言葉からは逃れられない。
言葉は踊りだと言える日がくるように
僕は考えなくちゃ。
踊りに言葉がないと
よくないじゃないか。
そこに境界線を引いてるようじゃあ、
お前はまだまだ踊っていない。
ただのエゴだ。
お前は人間なんだから
もっと人間らしく
自然や思いを受け入れろ。

色んなものを一つの言葉として
色んなものと位置づけるのではなくて
位置づけない言葉を作るしかないじゃないか。
流動的なものは
そんな単純なものじゃない。
上下のない世界を目指しても
わたしたちは大きさや小ささを知ってしまっている。
そのことを前提にどうしたら
伝えるというフラットな状態にしていけるのかが問題でしょう。
その過程を大事にすることしかできないのか。
その結果は生きてるうちにはでないかもしれない。
僕はそんな長いスパンでやってることを自分でも忘れる。
なんて馬鹿なんだ。
生き急いでるんだ。
僕のできることに限界はないけれど
ちっぽけなことかもしれないだろう。
それを忘れてる。
僕は馬鹿だと思う
2012.04.15
無題
人は一人ではいきれないから
人の傍にいたくなります。
近づくと優しくしなきゃいけないと思い
自分の気持ちを抑えることもあるでしょう。
一緒に笑うことや気持ちに同情することで
距離は近づくけれどそこに嘘があれば離れていくでしょう。
その嘘を前提で傍にいる関係はどこか空虚だけれど
二人のいる世界は美しいものです。
たとえそれが外から見たら腐っていたとしても。
誰かが完璧という言葉を使うとき
ほかの誰かがそれを欠如というでしょう。
私はその言葉に距離はないと思う。
全部完璧で全部欠如してる。
その基準がどこにあるかだ。
そういえば全部解決されるように感じる。
けれどそれは違う。
もっとそこには問題が
誰も知らない誰もが苦しむ問題があるように思う。
そのせいでみんな苦しんでいるんだと思う。