日常茶飯事 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2025.02.28
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2011.02.27
記録
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2011.02.27
記録
2011.02.27

日本は人がおおい。
というか東京が。
そしてなんだか狭い。
人と話していて思ったことがある。
相手が自分に何かを聞いてきたらちゃんと答える必要があると思う。
些細な疑問ならそれを些細な疑問だと思ったよという思いの中で答える必要がある。
必要というかそうしたほうがいいと思う。
どこまで客観的なことを考えても自分に全て帰ってくることを
話した人は相手のことを思いながら話すといっていた。
その中に自分の帰結が入ってるのかなとこういう話をしながら思ったけれど、
相手を考える自分っていうものがなんだか空に浮いてるような気がして全然寄り道して帰らない不良だった。
外国で考えたことは日を負うごとに力を増している。
向こうで読んだ本にすごい意味があったようだ。
今は幻覚とかに興味がある。
違うものに見ようとしている時点でそこはずれていると思う。
違うものに見えるんだろうな。
そんでもってそれはその行為を目標にするんじゃなくて
その行為をしたい気持ちを強めるだけだと思う。
色々言葉が難しいけど多分そういうこと。
ラオスであったおじさんが
結果はすぐにわからないよ。といっていた。
それは僕も知っていたけれど、その人の気持ちが大きかった。
おじさんは僕っていう個人にその言葉、実感かな。を言いたかったわけじゃないと思う。
ただ、おじさんは聞いてほしかったんだろう。
好きな言葉を言いたいなら壁にしたらいい。
意見を求めるというより、聞いてほしいっていうものが伝わってきた気がする。
それで僕も特別求められているわけじゃない意見を言いたくなる。っていうか答えたくなる。
そういう会話はなかなかできない。
会話っていっても僕はほとんど聞いていただけだったけど、
時間を置いて今、会話しているみたい。
うまくいえないが、頭に残るとかではないと思う。
頭に残るっていう意味はあっているけどイメージが多分もっと分厚い。

日本人は元気がないぞ。ってソフトバンクの広告に書いてあった。
その理由が自分なりにわかった気がして不思議になった。
いろんなものが影響している。
だからっていろんなものを理由にできるわけじゃないことを
自分なりの責任をもって知っていくことはできないのか。
関係性が全てを教えてくれるわけじゃないのに。

2011.02.20
 なにもないところで
気づくと見ていたなにもないものを
影がなく陽射しもない床を
反射できずに悲しかろう
それから時間があって
人があって
場所ができて
晴天を快音が響かせて
ここまできました。
けれども
人は一人であって
今も一人であって
見えない糸が
こんなにも太くなり
見るものが多くて
疲れたよ。
あなたさえも
笑う誰かの糸を
束ねるのに必死で
忘れることにも必死なんだ

愛する人よ
二階の屋根から雨が跳ねたよ
ジャンプして
ほら
落ちる