日常茶飯事 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2026.09.25
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2010.12.11
風が吹いて波になって砂に染み込み口にはいる
汗になって漂い何個にも分かれて小さな形をつくり
上りの途中にいる鳥に当たって皮膚になり
浴びる水にとけておかえりなさい

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2010.12.09
→ おーい

最近は、少し受け取り方を変えていきたいと思ってる。
僕が人にできるだけいやな思いをさせないようにするように
僕がいやだと思うことをする人はその人なりに相手を気遣っているのかもしれない。
小学校では自分がされていやなことは相手にしないようにね。と教わったけど
それは単純すぎると思う。

本当に最近思うことは、うまくいえないけど
お互いが楽しいとかお互いが対等だとかいった関係が最善じゃないんだなってこと。
僕はヘコタレ人間だから一般論に寄り添うよう努力しているけど
どうも綺麗ごとなんだろうな。
二人のうち一人が笑っている関係とか、片方はきつい言葉をいって片方はそれに耐えるとか
そういった関係もあるんだなっと思った。
そんなこと知ってはいたけどそれが最善だという感覚を持てずにいた。
今でも自分はそれがいいとは思わないけど、極端に偏ったバランスで成り立つ関係を受け入れれると思う。

関係ないかもしれないけど
性的な関係で男はヤルほうで女はヤラレル方と未だに感じるのはなんだろう。
前の同性愛の作品でそのことが散々本に書かれていて、性欲が怖くなったことがあったけど、
やっぱり、その片方が片方への行為っていうのはなくならなくて、
ただ性的なものだと、行為として実感が持てる(持てない人もたくさんいるけど)から、
極端に偏ったバランスで成り立つ性交もイメージしやすいけど(だからSとMってわかりやすい言葉があるのかも)、日常の関係になると会話とかでしか関係を判断できないからとてもアヤフヤな気がする。
でも日常でもそのヤルとヤラレルっていう関係はあるんじゃないかと思う。
それは、ヤルとかいう極端な言葉じゃなくてもっとやんわりと、言う、言われるとか。
聞き手と言い手は必ず互いで両立するから、言うことと言われることも二つで一つだと思うけど、
本当に二つで一つなら、どちらかへ偏ることもないんだろう。
それなのに、言うやヤルっていう行為にある種の強さを感じることで、言われる、ヤラレルが弱く感じる。
なんだかそのパワーバランスで日常は動いている感じがする。
人の魅力も、人を好きになることも。
何かを言わないことも言うこともいつでも差し替えられることができるのに
何かを言わないといけない気がする。
主張することは黙ることだけでもないし話すことだけでもないと思う。
無私っていう言葉が頭からはなれん。
流されるわけでも全部にYESというわけでもなくて関係性っていう人間にしか存在しない理由でものを見るのでもない。
僕から見るとバランスが偏ったものを人によっては一番いい状態というのかもしれないなっとは思うけど
バランスの根拠が自分にあるならそれはエゴに感じる。
こういう主張もエゴだという考えが頭を苛むし、実際そういわれたらそうかもしれないっと思う。
それくらい相手に何かを主張することができなくなっているし論理武装でもしなきゃしんじゃいたくなる。
けど、ほんとに、これがいい状態か?って問われると、全然そんなことないって僕は思う。
みんな頭がよくなりすぎたんじゃないのかなって思うこともある。
頭がいいと怖がりになるんじゃないかな。

2010.12.09
広い部屋に足を延ばして拾う衣服が
何着も何着もあって
そのたびに柔軟になる体の筋を労わって
たまに座ったりもした
絨毯は撫でられた跡があり
足跡はなかったが
手が左右交互になっていて
景観だった

ドアを開けたことがない猫へ
キャットフードをあげて
私がその猫を食べてしまおう
それかいっそのこと
キャットフードも私が食べようか
小から大へ
大きさにあった住み家と家がわたしにはあります。
2010.12.09
→ 無題
臨海へ
貝殻を拾いにいった
砂鉄の授業で思いだした学校が
木造の面影を真上の光に消されて
積み重ねたわけじゃないんだな

家にいる間に電車が通過する土の下に
石器時代はありますか?
音楽に促され、働き者は仕事にいく
2010.12.09
→ 無題

庭を見れば
花の蕾も咲くだろうから
戯言は上の空を
飛び回ればいい

高貴なものではないけれど
話の種が日常に近ければいい。
コミュニケーションの取り方を考える。
取られ方も考える。
すごく言われて苦しいことさえ
その考えの中で溶けあって
庭の景色に洗われてほしい
やっぱり
見ることがまだまだ甘い。
本当に見ることができたら
死ぬのも
今より違う感情に変わっていけるに違いない。
だからいっしょうけんめいいきるよ