日常茶飯事 日常 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2025.02.27
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2010.12.18
誰かに心の底から名前を呼ばれたい。
両親や家族にそれを求めている
同時に自分の子どもにもか
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2010.12.17
一時的にひたすら「僕は~」って僕は僕の場合は、という時期があった。
今も時たまそういう時期が来るが長く続くわけじゃない。
続いた時は、どうやら「僕」を主張したいわけではなく「それしかいえない」という気持ちになっていたようだ。
でも今の「僕は~」の使い方はすごく不純で「他人はわからないけど僕は~」みたいな気持ちが多い気がする。
それは話してる相手に対しての防御壁のようなものだと思う。
もちろん聞き手の受け取り方でいかようにも変わるけれど、誠実に自分を意識して使っていたころのほうがやはり伝わり方も違うんだろう。
そもそも「他人はわからないけど」っていう気持ちなんか当たり前なことなんだからわざわざ主張する必要はない。それをしてしまうのはやっぱり相手に攻撃されるんじゃないかという恐れからなんだろう。
どんどん根本的なことしかいえなくなってきているけど
「他人は自分と違う」っていうことを表すくらい自分が自分に自信を持てなくなっているじゃないか。もしかしたら一緒くたんに物をみる人が多いのが原因かもしれない。
僕は、こう思う。っていう言葉の中に他人は存在しているけど他人への感情はほとんどない。当たり前のことがわかってますよ僕は。と前振りをするしゃべり方が嫌いなのにしてしまうのはそれがマナー?(礼儀)だからなのか。つまらない大人にはなりたくないな。
2010.12.12
BATIK
スーパーで定員に怒ってるお客さんを見たけど
なんで怒ってる人を見ているとなんかもうやめたら?ってなるんだろう。
個人的に最近接客が悪くなったセイユーだったから共感できることはあったものの
やっぱり片方によって物事を話すのがすごく息苦しく感じる。
いいことをしているときはわることをしていると思ったほうがいいよ
って吉本さんの講義でいってたけど、なんかこういう時にその言葉を使って気持ちを探れればいいのになっと思った。

BATIKってのを見てきたけどすごいよかった。
ほんとに素晴らしい。
個人的に飽きたとこもあったけど、あのダンサーみんながあー!って叫んで出てくるところがすごくいい。
それと個人個人を名前で呼んで呼ばれた人が踊るところ。あーあー!って思った。
笑ったすえに苦しくなるのはオオカズさんも言ってたからなんとなくわかるけどそこじゃない。
全身で体当たりしてみんなと接していくの
それってどうしようもなく大変で苦しいし辛くて楽しくて声張り上げて話せなくなる。
だからってそれをしたい!そうしていきたい!
そう思えた。素直によかった。
自分に置き換えてもっとつよくなりたい。したい。
2010.12.12
ここま
ダメだ最近よくない。
自分を高く見積もりすぎた罰がきてる。
へこたれる。
音楽に逃げたくなる。
誰かに会いたくなるけどこれは違う。
たまには弱音を吐かしてくれよ!って誰のせいでもないって
ましてや自分のせいでもないってわかるまでに時間をちゃんと使おう。
出し惜しみはしないように。
かっこつけやから困るわお前
2010.12.11
風が吹いて波になって砂に染み込み口にはいる
汗になって漂い何個にも分かれて小さな形をつくり
上りの途中にいる鳥に当たって皮膚になり
浴びる水にとけておかえりなさい