日常茶飯事 日常 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2025.02.27
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2011.02.05
失恋
不思議なもので
思いの量が同じでないと雪崩れ込んでいくこともできない。
壁は高くも低くもなくて
ただ間があるだけだ。
伝わらないわけではなくて伝わった行為を認めたい。
親友と話したが、
一生懸命みんな生きていることを前提にする必要がある。
買いかぶりすぎかもしれないが、今のそれがあなたの精一杯だと信じたい。
僕はそれしかできない。
それが一生懸命生きる証拠になる。
苦しいけれど
甘えるな。
育てるのは自分だけだ。
あなたが好きでした。
って
お前あほか。
PR
2011.02.04
なにもできずに
記憶のなかで受けぼりにする自分の姿を
丁寧に束ねていく時間
大切になる人があり
何もせずにいいのだと
心に決める。

恋愛はめんどうだなあ
機関銃のように打ちまくって当たるわかりやすさで
なにをしても埋まらない思いを
じっと堪えて腹に蓄える。
好きな人の幻想を
消化するのは自分だけしかできない。
ちゃんと馴染ませて眠ろう。
幸せでも不幸せでも
人は本当の不幸に出会えないはず。
2011.01.30
居心地が悪いと思うときはその場所のせいにしてしまう。
まず身体が動かなくなり、声が通らなくなる。
自分の言葉に意味がなくなっていることにうっすら気付いて
しんどくなる兆候だと知る。
そしてそのうち顔を自分の標準に戻して外の目線は横に置いとく。
けれどその目線はとても動かすのが大変だから、顔がひきつりながら3日はかかる。
それが落ち着くと、身体の調整。
伸ばしたり縮めたり、やりすぎるとわからなくなるから適度にして
頭のやわらかくマッサージする。
ようは点検する。
そこで宇宙とかいう大きい感覚と床の汚れとかテーブルの小さな模様を見て自分の等身大を思い出す。
突飛押しもないようなことを考えているようだけど、あくまでもくだらなく。
ちゃんと目の前のものを見るための準備体操がその前の過程だと思う。
僕自身もよくわからない。
まあ見て、そのうち元に戻る。

多分その元としているものが固くなると居心地が悪くなるんだろう。
適当な言い方だから言い換えて。
ルールが増えるとそれを破る人を罰する感覚と同じか?
多分。
そう考えると、結局、僕はルールに責任を押し付けてるみたいだ。
それが僕にとっては場所か。
いつの間にか了解してたものが突然顔を出すとき、
選んだより選ばされた感覚になって抵抗することがいやだ。

だから考える。
って疲れるから
抵抗しないぞ、できる限り。
できれば気付いた時点でそこで遊びたい。
2011.01.30
これでおしまい
背中でも感じてはいけない
あなたがしんどそうだから
一人がいつも正しい理由は必要なのか。
それも考えるあなたへ
そこから水底は見えないよ
水草の中の花だけが目立つ畔
そこでフリスビーでもしませんか?
わたしたち鯉になって
2011.01.21
股関節をストレッチしすぎて膝がガクガクなる。
これはヤバイ。

柄谷行人さんの本を読んでいる。
夢の部分が面白い。
不条理とかそういう視点じゃなくてもう不条理を条件として受け入れてしまった
自分がいる。それをいかに上のほうから客観的に見ていきながら持続するかということばかり考えていたけれどここでは、そんなことは書かれていない。
へんなことをいったら怒られそうだけど、やっぱり決断だと思う。
主観的とか客観的といったことはどうでもいいんだ。
なにを選んだのか?は外にいる思考だ。
内に入ること。
何を選んだか。を当たり前にして身体の一部として持ち歩くのみ。
?では進まないのだ。
武藤さんの言葉を思い出す。
これが紫色だとしても主観の中では何色に見えるか考えたほうがいいと思う。
でもそれを考えて、紫色を黄色だと決めた後はそれを土台にしないと表現するものがグラグラするよ。
みたいなこと。
何かを作る時の不安は真実だからこそ、肯定してあげたい。
不安だよー不安だよ―って叫ぶことは肯定じゃない。
全て受けもって前提を増やすこと。
けして閉じこもらず、小さい的へと向かう。
これが上か下か前か後か考えること自体も受け入れていく。