日常茶飯事 日常 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2025.02.27
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2011.03.11
細く短い蔦を結んで
森をつくる。
歩くたびに木に傷をつけ
道をつくる。
剪定した場所で暮らし
家畜のそばでご飯を食べる。
来る日も来る日も行く日のことを考えて
豚を食べて高く飛ぶお祭りで踊る人たちは
森が大好きだ
心臓の中で太鼓が鳴ってる
月が目の中にある
大きな風が耳や鼻や口から入る
境目もなく出入りすることを
呼吸という
呼吸をするとき
風をつくるために鼻や口より奥の場所で
呼ぶ声が風は大好きで
返事をする
葉の摺れたような音のように
身体の中に入るとある森の木々で
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2011.03.08
なにかをつたえようとするときに伝わらないということも含め伝えるようにする
相手に対して真摯に向き合うとはそういうことだと思う。それは冷たいものじゃない。みんなが思うよりもっともっと優しいものだ
2011.03.01
今日気付いたこと
小さい文字、ょ、とかを使うのを見るとなんだか悲しくなる。
ジュリアナが終わった直後の悲しさに似ている。
実家で飼っていた犬が死んだのはだいぶ前だけど実感が今来た。
うちで飼っていた犬は初めシベリアンのメス一匹だったんだけどそのメスの犬がそのうち子どもを産んでオスと合計二匹を飼っていた。
二匹いると犬の散歩が大変でとくに子どものオスのほうは大型犬だからすごいいきおいでひっぱるから自分で首をずっと絞めにいってるみたいだった。
そのいきおいがすごすぎで父が転んだりしたこともある。
あれはどうも父が歳をとったから、ということもあるんじゃないかなっと思い、オトン老いたんだなっとじんわり感じた。
まあそのうちメスの母親が死んで、それで僕が実家に帰るとオスの子どもが一匹で、こいつもそのうち死ぬんだな、とかぼんやり思っていると、毛が抜けてヨボヨボになって立てなくなってご飯はたくさん食って死んじゃった。

犬が二匹死ぬことを一匹づつの個々で泣くくらい悲しく感じていたけど
悲しみが二匹に跨って感じたことはなかった、と気付いた。

一つの家族が全員死ぬみたいにあの二匹でできた家族が死んだんだなっとも思った。
百年の孤独の短縮版みたいな感じなんだろうな。

ああー、なにがいいたいかわからんくなってきた。
頭が、「百年の孤独」から「犬が感じてる時間の早さ」になって「人間の感覚が犬に適応できるかボケ」っていう流れになってる。
あーパッパラパー。

また、リベンジします。
吐きそうな文章は書きたくない。
2011.02.28

眠るとしきりに経つ時間のなかで立つ人よ
今ココ
なんて嘘みたいな救い。
流れるような日々は思惟ですよ。
ほら、これが思惟です。
ダサくてウザくてメンドくてヤヤコシくて。
歩いていると会うのよそれに。
でも声をかけたことがないわ。
今日の天気の話しをしても笑うだけで
あとは食べ物の話しくらいしか思いつかない自分が余計に笑った。
袖からそれでも見ている人が呟く優しさをあなたは知らないでしょう。
表さないと伝わらないと人に言うと反復するとフィードバックだ。
さらにまた明日というものと融合して
変化はけれどあまりそれに関係がないから
あっちのほうへこっちのほうからちゃんと見る。
もしちゃんとできたら虹の山が色を重ねているでしょう。
何層にも重なりあうフリしてる
なんてあの人はいうけれど
あなたのそれは存在をやめない。

2011.02.27

日本は人がおおい。
というか東京が。
そしてなんだか狭い。
人と話していて思ったことがある。
相手が自分に何かを聞いてきたらちゃんと答える必要があると思う。
些細な疑問ならそれを些細な疑問だと思ったよという思いの中で答える必要がある。
必要というかそうしたほうがいいと思う。
どこまで客観的なことを考えても自分に全て帰ってくることを
話した人は相手のことを思いながら話すといっていた。
その中に自分の帰結が入ってるのかなとこういう話をしながら思ったけれど、
相手を考える自分っていうものがなんだか空に浮いてるような気がして全然寄り道して帰らない不良だった。
外国で考えたことは日を負うごとに力を増している。
向こうで読んだ本にすごい意味があったようだ。
今は幻覚とかに興味がある。
違うものに見ようとしている時点でそこはずれていると思う。
違うものに見えるんだろうな。
そんでもってそれはその行為を目標にするんじゃなくて
その行為をしたい気持ちを強めるだけだと思う。
色々言葉が難しいけど多分そういうこと。
ラオスであったおじさんが
結果はすぐにわからないよ。といっていた。
それは僕も知っていたけれど、その人の気持ちが大きかった。
おじさんは僕っていう個人にその言葉、実感かな。を言いたかったわけじゃないと思う。
ただ、おじさんは聞いてほしかったんだろう。
好きな言葉を言いたいなら壁にしたらいい。
意見を求めるというより、聞いてほしいっていうものが伝わってきた気がする。
それで僕も特別求められているわけじゃない意見を言いたくなる。っていうか答えたくなる。
そういう会話はなかなかできない。
会話っていっても僕はほとんど聞いていただけだったけど、
時間を置いて今、会話しているみたい。
うまくいえないが、頭に残るとかではないと思う。
頭に残るっていう意味はあっているけどイメージが多分もっと分厚い。

日本人は元気がないぞ。ってソフトバンクの広告に書いてあった。
その理由が自分なりにわかった気がして不思議になった。
いろんなものが影響している。
だからっていろんなものを理由にできるわけじゃないことを
自分なりの責任をもって知っていくことはできないのか。
関係性が全てを教えてくれるわけじゃないのに。