ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2010.09.25
→ 生きること
大野一雄さんを特集している現代詩手帖を読んでいると、
すごくほんとにすごく大野さんのすごさを感じる。
すごいという言葉が適切ではないと思うけれどなんといっていいのかわからない。
思いが出発点だということ。
思いを持つの自分一人ではできないということ。
誰かに伝えたいと思う気持ちは自分の思いがあってこそだと思う。
それをしたいのはそれをしたいと思ったからという言い方をよくする人がいる。
理由を目的と同じ感覚で扱っていうのはなんだかすごくへんな感じがしてしまう。
理由は思いであってほしい。
思いは自分以外何かがあって触れてこそ出てくるものだ。
けれど自分以外の何かは自分とはけしてまざらない。
身体は自分のものです。
目に見える限りで交わることはできない。
何かを伝えるのは交わることのできない現実とそれでも目に見えないものが交わっているという現実の矛盾が基本になるように思う。
それは頭が社会と馴染んで効率化していたらとても消化できないことだと思う。
消化しなくてもいいんじゃないか。
その答えを放り投げでもなく、ただ思考を停止させた受け入れでもなく
現実の思考の仕方と自然の成り立ちの両方で錯綜する自分を受け入れながらそれでもそれに飲み込まれないように何かを思い、表すことが生きるということなんじゃないかと思う。
指の先までしかない自分を過大、過小評価することなく思いを持ちたい。
思いを一言にしてしまうことは容易いから
その中で重なり合う層をちゃんと見る努力をしなければいけないんじゃないかと大野さんの言葉を読むと強く思える。
助けになる。
すごくほんとにすごく大野さんのすごさを感じる。
すごいという言葉が適切ではないと思うけれどなんといっていいのかわからない。
思いが出発点だということ。
思いを持つの自分一人ではできないということ。
誰かに伝えたいと思う気持ちは自分の思いがあってこそだと思う。
それをしたいのはそれをしたいと思ったからという言い方をよくする人がいる。
理由を目的と同じ感覚で扱っていうのはなんだかすごくへんな感じがしてしまう。
理由は思いであってほしい。
思いは自分以外何かがあって触れてこそ出てくるものだ。
けれど自分以外の何かは自分とはけしてまざらない。
身体は自分のものです。
目に見える限りで交わることはできない。
何かを伝えるのは交わることのできない現実とそれでも目に見えないものが交わっているという現実の矛盾が基本になるように思う。
それは頭が社会と馴染んで効率化していたらとても消化できないことだと思う。
消化しなくてもいいんじゃないか。
その答えを放り投げでもなく、ただ思考を停止させた受け入れでもなく
現実の思考の仕方と自然の成り立ちの両方で錯綜する自分を受け入れながらそれでもそれに飲み込まれないように何かを思い、表すことが生きるということなんじゃないかと思う。
指の先までしかない自分を過大、過小評価することなく思いを持ちたい。
思いを一言にしてしまうことは容易いから
その中で重なり合う層をちゃんと見る努力をしなければいけないんじゃないかと大野さんの言葉を読むと強く思える。
助けになる。
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