日常茶飯事 犬が死んだ 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2025.02.27
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2011.03.01
今日気付いたこと
小さい文字、ょ、とかを使うのを見るとなんだか悲しくなる。
ジュリアナが終わった直後の悲しさに似ている。
実家で飼っていた犬が死んだのはだいぶ前だけど実感が今来た。
うちで飼っていた犬は初めシベリアンのメス一匹だったんだけどそのメスの犬がそのうち子どもを産んでオスと合計二匹を飼っていた。
二匹いると犬の散歩が大変でとくに子どものオスのほうは大型犬だからすごいいきおいでひっぱるから自分で首をずっと絞めにいってるみたいだった。
そのいきおいがすごすぎで父が転んだりしたこともある。
あれはどうも父が歳をとったから、ということもあるんじゃないかなっと思い、オトン老いたんだなっとじんわり感じた。
まあそのうちメスの母親が死んで、それで僕が実家に帰るとオスの子どもが一匹で、こいつもそのうち死ぬんだな、とかぼんやり思っていると、毛が抜けてヨボヨボになって立てなくなってご飯はたくさん食って死んじゃった。

犬が二匹死ぬことを一匹づつの個々で泣くくらい悲しく感じていたけど
悲しみが二匹に跨って感じたことはなかった、と気付いた。

一つの家族が全員死ぬみたいにあの二匹でできた家族が死んだんだなっとも思った。
百年の孤独の短縮版みたいな感じなんだろうな。

ああー、なにがいいたいかわからんくなってきた。
頭が、「百年の孤独」から「犬が感じてる時間の早さ」になって「人間の感覚が犬に適応できるかボケ」っていう流れになってる。
あーパッパラパー。

また、リベンジします。
吐きそうな文章は書きたくない。
PR
Name
Title
Mail
Url

Pass
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック