日常茶飯事 ウンソレバッタン 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2025.02.27
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2010.12.05
万国旗がゆれていた吉祥寺を急ぎ足で歩いて自分を追い詰めていくように
ゆっくりした音楽を肖像画にするような
蜃気楼をたくさん見たんだね

文字のサイズにあう言葉の配列っていうのはある。
行数とかも含め。
デザインは自然からできてきたものだろうけど
文字からデザインをイメージするのは自然なことなのか。
デザインっていうのはやっぱり物からできているんじゃないかな。
文字もたいてい見えるものからできているんだろうし。
そうすると見えない言葉の意味をもった単語ってなんだ。
愛とか希望とか夢とか悲しいとか。
違う。
悲しいは愛とは種類が違う。
愛はすごく強い強制みたいな部分があるイメージ。
絶対的な気がする。
命令的な、でもそれは意味が履き違えられてるんじゃないかと思う。

神様って言葉もそうだけど
それを仏像とかで具現化しているように解釈する人は
愛も自分の心のなかででも具現化されてしっかりしたものにしなければ気が済まないんだろう。
狭間ってのがあって、
多分、間とか狭間とかいう部分のことを愛とかいうんだろう。
悲しいと楽しいの間とか、隙間とか。
でもその感情は連なっているんだろうから、じゃあその動きとか運動のことをいうのか。
もしかするとその運動の理由、っというか地面みたいなものだと思う。
足で立つ場所があるから感情も動くことができるようにそれは地面みたいに当たり前のものだろうな。
ようわからんけど、
好きとか嫌いとか恋愛とか失恋とか
もっと寛大に落ち着いてそのことを扱えたらええのに。
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