日常茶飯事 からだについて 忍者ブログ
ソロユニット"とりととら"の主宰・玉邑の日々
2025.02.27
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2009.10.15
前のMSAで何事も体感したいと思うようになったけれど、どこかでそれが結果的に「そうしなれけば自分の納得いく作品んができない!」と思っているらしく結局、「作品を作る」ことばかり考えてしまい「体が体感する」ことをほおり投げている。
身体に集中してきたわけではないから全然集中が続かなくてWSでも甘えている部分がたくさんあるなーっと思う。WSの甘えている自分を見つけた時の言い訳が「僕は俳優ではないので。」
『風景』の時にさんざん、俳優も演出家のように考えていければいいっと言っていた自分がこれだから馬鹿みたい。
何かを考えることばかりしてきたから理由づけはある程度できるようになった。
けどそれは僕のやりたい舞台にそんなに必要じゃない気がする。結果的に必要にはなるけど発想段階では頭も縛るものだと思う。
自由に、っとたくさんの人を見て思ってきたけれど自分の自由度がすごく狭いことに気づいてあーだこーだ言い訳もしてきた。これからもする可能性が高い。
切羽詰まるくらいの決心をしたい。
これでなければだめなんだ、と言いたい。
自由っていうのは「どれでもいい」と思う思考と「その中で、僕はこれなんだ!」って思う決心だと思う。
僕自身、「どれでもいい」に今近づいているだけで広い視野を持っているわけでもないし、思考が飽和しているわけでもない。
そうなりたいっとは思っているけれど、毎日思うだけで何もしていない。
覚悟が足りないんだな。
うまくいえないけど、何かを受け入れていく覚悟、そこに集中する力とかが足りない。

楽しむ事が大事。
みそも言ってたけど楽しむことがなんなのかわからなくなったときにどうすればいいのか?を知れたらいい。
楽しいっと言ってやる行為がチンケなことに見えるときがたくさんある。
やってる本人がチンケなこととわかってもやることに意味があると思う。
たくさんの人がその本人を叩いても自分自身が他人の言葉を切り離すんではなく受けとって、それでも今の行為をやります。っていうところに何かある気がする。
そこまでの根性や信念があるかどうか。
揺れてばっかりでもそのうち一瞬でもピタって止まるよ。
希望的観測だけど目指すところはそこしかないんだな。
まったくもう。
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